<OB・OGのみなさまから寄せられたお便り>
 
   
 辻広 隆志
  27期(昭和52年3月卒業)
  パート:チューバ(バス)
恩師との再会

 本ホームページが開設され、早いもので1年が経過しました。開設にあたってご協力いただきました皆様に、あらためて感謝申し上げます。また管理をお願いしています木下先輩には、お忙しい中、引き続きよろしくお願い申し上げます。

 さて、この1年を振り返ってみますと、ホームページが公開されたことでいくつかイベントができました。一つは大畑先輩のスウィング・ポットにて寺田君(t’s bar オーナー)来札にあわせライブとOB会を実施できたこと。このときは小見山大先輩や懐かしい面々が顔を出してくれ大いに懇親を深めることができました。 二つ目は8月の現役の皆さんの定期演奏会でのOB会ブースの設営です。ホームページの紹介とOB名簿の充実を目的に行いました。開設に当たりご理解ご協力を賜りました顧問の先生皆様に感謝申し上げます。二十数年ぶりに江南高校吹奏楽部のサウンドを聴く事ができ、感動しました。また会場に足を運んでいただきました、大友先輩、星先輩、金田先輩、岩田先輩、久々に重鎮のお元気な顔ぶれを拝見し、嬉しく、また懐かく演奏会後の懇親会でお話を聞かせていただきました。その際、A先輩があと数年で定年だとおっしゃった時はさすがに合宿での若き先輩の記憶とオーバーラップして時代の流れを感じました・・。いやいや皆さん誰一人年老いてはなく、現役時代と変わらずお元気なので、ホッとしながら楽しい時間を過ごさせていただきました。感謝 感謝

 そんな釧路行きの大きな楽しみだったのが、現役当時に橋本先生(故人)とともに顧問をしていただいた、柴田芳郎先生との再会でした。同期の伊在井君にお願いし、演奏会当日の午前に伊在井君とともにご自宅にお伺いし、これもまた20数年ぶりにお会いすることができました。先生は今年で68歳、いまはお孫さんに囲まれ市内にいらっしゃいます。ほんのひとときでしたが、二人で懐かしい現役時代のエピソードを語り始めると、先生も記憶の奥にしまいこまれたお話をご披露いただき、また懐かしい川湯での合宿や、滝川、北見の野球応援、厚生年金会館での全道コンクール、根室、苫小牧での高文連など、本当にきりがないくらいの思い出を共有していることを嬉しく思いました。次回は懐かしい写真を沢山抱えてお伺いしたいと思います。先生もいつまでも元気でお過ごしいただきたいと思います。

 今年の演奏会後の懇親会にて金田先輩から、20数年前に創部30周年の記念コンサートを開催した折に、柴田先生からいただいた「うず潮」の吹奏楽部の記事を抜粋した資料をお預かりしました。 吹奏楽部の前身は共学後に音楽部として、合唱部、器楽部、レコード鑑賞部門がそれぞれ存在し、活動を始めたようで、楽器にたずさわる部門が、独立した部として活動し始めた事が読み取れるなど、興味深い資料です。札幌の大畑先輩がしっかり読み込み、内容を時系列でまとめていただき、先般、お話をお聞きするには、再来年がどうやら創部60周年になるようです。吹奏楽部もいよいよ還暦を迎えるわけです。 皆さん! 何か企画を立ち上げませんか? 一部の方には、また何かとご苦労をおかけしますが、今からなにか構想を暖めてゆきましょうよ。

 そんなわけで、今年1年は江南高校吹奏楽部とOB会に彩られたプライベートでは充実した年となりました。全国のOBの皆様。来年も引き続きホームページをご支援くださいますように。

 27期卒・バスパート 辻広隆志 拝

(寄稿:2008年12月14日)

     
     
 高島 拓哉
  47期(平成9年3月卒業)
  パート: オーボエ
はじめまして。

江南出身オーボエを吹いています高島拓哉と申します。
先日母校の様子が気になりまして検索しましたところ
吹奏楽部OB会のホームページを発見し大変うれしく思いました。
そしてトップ頁に僕の名前がありさらにびっくりでした!!!!!

今現在はパリに滞在しております。
これからもぜひ素敵な交流の場としてHPが発展していきますことを
御祈り申し上げます。

高島拓哉

 (管理:OB会に届いたメールを転載いたしました。 転載日:2007/12/23)
 
 
 
 
 大友 美法
  20期(昭和45年3月卒業)
  パート:チューバ(E♭バス)
応援団に入りたくなかった。
それが、吹奏楽部に入部した理由でした。

江南に入学するとクラスで色々な選出がありました。
代議員(級長)、書記、図書委員・・・。
それらの選出が進むうちに応援団員選出の番になりました。
(当時は、各クラスから2名選出するのが義務でした)
これを回避するには、何かの部活に属すしかありません。
それで、吹奏楽部に入ると言ってしまいました。

7:00     起床、朝食
7:30     登校(歩いて5分)
       楽器の手入れ(ピカールとワセリンが活躍)
       音だし(ロングトーン)
1時限目終了 部室で弁当を食う
昼休み    生徒玄関で販売のパンを食う
       自由練習
放課後    練習
20:00  校門向かいの満腹食堂に直行
     ラーメン大盛り&きんつば(アイス)
20:30     帰宅、就寝
01:00    起床、オールナイトニッポンを聴く
       夜食は、マルちゃんのダブルラーメン
03:00    就寝(時々、走れ歌謡曲を聴く)
という生活でした。

授業中は何をしていたか。
専ら写譜です。
コピー機なんてない時代でした。
先輩と自分の分を一生懸命やりました。

コンクールより野球の応援。
固い曲よりジャズかマンボに歌謡曲。
それに映画音楽もレパートリーでした。
栄光への脱出
闘牛士のマンボ
マンボNO5
小指の想い出(伊東ゆかり)
恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)

それに「函館の新聞少年」。
これは、指導者だったM先輩が教えてくれました。
「♪ 遙々きたぜ函館 ・・後は追うなといいながら」
の後に「♪ 新聞配ってもう三月(みつき)」
と続けるのです。
そして、「♪ 雨や嵐には慣れたけど」までいって、
「♪とぉ〜っても がまんができなかったよ〜」
に戻って終わります。
楽しかったですねぇ。

今、高校時代を振り返り母校のことを思うと結論は一つ。
江南は自由あっての江南だと思います。
訓や目標をあえて掲げない。
そして群れない。
8割をめざして6割でよしとする。
あれやこれやの良い加減。
やればできるけどやらない。
これらは、一種の品(ひん)です。
江南らしさ、それをいつまでも継続してほしいです。
そう思います。



 
 
 金田 哲也
  22期(昭和47年3月卒業)
  パート: クラリネット
ホームページの立ち上げおめでとうございます。
OBの皆さん、大変ご無沙汰しております。お元気ですか?
私は、相変わらず田舎の公務員で毎日肩身の狭い思いをしております。
さて、先日、伊在井会長からOB会でホームページを立ち上げるから何か一言書いてくれと電話があり、簡単に引き受けたまでは良かったのですが、何を書いたら良いのか悩んでいるうちに一週間が過ぎてしまい、今、無い知恵を絞って書いているところです。
私も高校を卒業して35年を過ぎ、最近はすっかり吹奏楽とは縁が無い、生活となりましたが、時々マーチングの大会を見たり、コンクールや定演を聴きにいったりしております。先日は航空自衛隊中央音楽隊の演奏も久し振りに聴いてきました。
また、年に1回ぐらいは町内の音楽愛好家と歌謡曲バンドを組み地域の祭りや文化祭等で発表し、楽しんでおります。
現在、縁があり釧路地区吹奏楽連盟の副理事長の先生と机を並べて仕事をしております。
その先生から管内の状況等を教えていただいておりますが、ここ数年は後輩の活躍に随分と励まされてきたように思います。
また、職場が教育委員会ということで、町内の学校の先生には、江南吹奏楽OBが数名いるようで、その中の一人はOBの娘さんということもあり、昔を懐かしんでいるところであります。
そのような矢先に、ホームページを立ち上げるという話しを聞き、大変うれしく思っておりますし、楽しみにもしております。
このホームページをひとつのきっかけとして、OB会活動が再び活発になることを願うとともに、ホームページ立ち上げに携わられた方々のご労苦に対しまして、一会員として感謝を申し上げ、さらにはOB皆様のご健勝をお祈りし、また、一日でも早く皆さんとお会い出来る日を楽しみにして、私の近況報告とさせていただきます。



 
 
 大畑 茂
  23期(昭和48年3月卒業)
  パート: トランペット
 釧路江南高校吹奏楽部ホームページ開設おめでとうございます
私が 江南を卒業して もう35年がたちますが、今現在も音楽と切り離せない生活が続いています。
 毎日店内では、(札幌市清田区真栄で喫茶店SWING POTを経営しています)JAZZが流れ 音楽仲間のライブ、ジャムセッション、 
さらに所属するBIG BAND の練習、コンサートなど 楽器との繋がりもすべて高校時代の吹奏楽部が始まりだったのでしょう。
 高校入学と同時にどうしても トランペットが吹きたくて、入部。
  しかし、すでに席はなく、ユーホニューム(当時はそう呼んでまいした)担当を命ぜられ、しかも、初心者1年生2人でした。 毎日恐ろしい3年生指揮者に特訓され よく飽きもせずロングトーンばかりしていたと思いますね。
 譜面も読めず、音程もわからず、それなのに 曲は全部 暗譜していたのが不思議で、よっぽど練習したのか若さのせいなのか?
2年生になって、念願のトランペットに移り それからが長い長い ラッパと格闘の人生になってしまった。
 途中、唇を壊し 挫折の音色にもめげず 学校祭では ソロで大恥をかき パレードでは 指揮棒を振り、今の江南マーチングとは、大人と幼稚園ほども違うくらいのドリルの真似事もやってみました。
大学に進んでも やっぱり楽器とは 離れられずBIG BAND JAZZのサークルに入りさらに音楽の楽しさに目覚めてしまいました。
 この頃は、現役達の合宿に行くのも楽しみで、先輩ズラして毎年顔を出していました。
そのおかげで、今でもそのときの後輩達と 交流があるのは ありがたいことです。
 後輩と言えば、 私の3才下の弟も江南ブラバン出身でして、さらに 4年ごとに いとこが2人 ついには、弟の娘が、4年前に江南ブラバンを卒業しました。
 なんとも 親戚に後輩がいっぱいできまして、 5年程前に、マーチング全道大会が札幌であり、姪から是非 見に来てと、キタエールまで行き、うわさに聞いていた以上に すばらしいドリルを目の前で見ることが出来、驚きと感激で胸が熱くなりました。
私達の時代は、全国大会など夢の夢で、コンクールの全道大会に出るだけが、目標でしたから、本当に最近の江南マーチングはすごい。。。。   
 でも、地区大会しか知らない私達でも、吹奏楽部で過ごした3年間は、人生の貴重な時間だったと思います。
これからも、益々の発展を期待しております。
  そして多くのOB、OG の皆さんが誇りを持って江南高校吹奏楽部出身だと、胸をはって言い続けることが出来るでしょう。